まえがき


インドの古代法典の一つに、50歳から75歳は林住期であるがゆえに、仕事や家庭などの雑事から離れて、林に庵を構え自らと向き合い瞑想し行く末を深く考え、75歳を過ぎたら遊行期として庵も離れ遊行し、人に道を説き、耳を傾け、人々に人生の知恵を授ける時期とあります。

仕事や家庭の雑事から離れる—だいぶ前に林住期に突入したものの、それらから離れるどころかますますやることが増えている。しかし決して、離れたいのに離れられないのではなく、仕事も家事もむしろ以前よりも楽しく、やりがいを感じるようになったのです。

その理由の一つに「手を動かすことは瞑想」だとある日気づいたということがあります。

何種類かの野菜を薄く細く切って重ねて蒸し煮をする「重ね煮」という調理方法があるのですが、何せとても薄く細く野菜を切るので集中力と時間がいります。

早朝、キッチンに行って、野菜の千切りをしていると、東の空から明るい太陽が昇ってその光が床に射し込んできます。美しい朝の太陽を感じながら一人静かに野菜を切る時間、ひたすら野菜の今だけに集中する。それこそ瞑想なのです。

料理だけではなく、糸を織って布を作ったり、布を裁って服を作ったり、アイロンをかけたり、そうじをしたり、草むしりをしたり、すべての行為が瞑想になります。

今していることにまっすぐに向き合う。目の前のものをよく観察する。

すると何とも言えない幸福感に包まれます。

幸福な気持ちが続くと当然人生は楽しくなります。もちろん、いやなことや困ったことも起きるけれど、必ず解決方法があるし、神様は乗り越えられない苦難は与えないと言います。

そんなわけで林住期真っ最中でも、まだまだ林の庵にこもってはいられません。現場で楽しみ、日々出会う面白かったり素敵だったりするものについて、書いていこうと思っています。
これまでインプットしてきたもの、ものを冷静に見たり、少しは中庸な判断ができるようになった今だからわかったこと、気づいたことがあるような気がします。

タイトルの「いきごこち」は、住み心地、着心地、居心地があるから、それらすべてをひっくるめて「いきごこち」にしました。「ここち」の仲間に「食」がありませんが、「たべごこち」もそのうち仲間に入れようと思います。食べごこちとは、風味豊かで美味であることはもちろん、お腹だけでなく心も満たされるもの、作り手の想いが伝わってくるようなもの(これは他のここちにも共通します)です。

今日から令和になりました。
という意味もあって、一つの区切りとして、コラムを始めます。
どうぞよろしくお願いいたします。

2019年05月01日 | Posted in いきごこち | | Comments Closed 

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